浄土真宗の教えが土徳として根付いてきた地域で、
聞き馴れない言葉を度々聞くことがありました。
それはお念仏の教えに出遇った喜びを、
子や孫に語り継いできた言葉であることを知り、
又その言葉は死語になりつつあることも知りました。  
宗教離れとか寺離れと言われる社会の変化の中で、
先人の真宗門徒が相続してきた「門徒ことば」から、
真実の教えに遇い「お育て」にあずかった安心と、感動を、
今私たちは、共有したいと思うのです。​​​​​​​
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《 気づかせてもらった 》
真宗門徒は何かに気がついた時
「気づいた」と言わず「気づかせてもらった」と言います。
私自身、振り返ってみますと、
仏教の教えに導いてくださる方々と出会ったことが、
不思議なご縁でもあり、ありえない有り難い出遇いと思ってきました。
その導きの中で気づいた多くの事がありました。
善き人との出遇いも
「出遇わせてもらった」と言えるのでしょう。
主体が自分ではなく、
私の思惑や配慮 努力を超えた、
絶対的な知恵によって気づかせてもらったからであり、
出遇わせてもらったからなのです。
「おや!」と思うのも、
自分からではなかったと味わうことがあります。
              2025/8/16 常例 住職
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